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金武町にあるアメリカ軍のギンバル訓練場の返還で、儀武剛町長は先月、訓練場内にあるヘリコプターの着陸帯、ヘリパッドを同じ町内のブルービーチ訓練場に移設することを受け入れました。

11年前にギンバル訓練場の返還の条件として、日米両政府がこのヘリパッドの町内への移設に合意したのに対し、町や町議会は反対し続けていましたが、これを覆す儀武町長の決断。その決断の背景には何があるのか。岸本記者のリポートです。

儀武町長「私にとりまして大変苦渋の選択でありますが、跡地利用計画は基地経済から脱却し、自由経済を確立するものと考え、SACO最終合意に基づくギンバル訓練場の返還条件の受け入れを表明するものであります」

岸本記者「金武町上空です。うっそうとした林の中にギンバル訓練場のヘリの着陸帯が見えます。このヘリパッドをわずか一キロしか離れていないブルービーチ訓練場に移設する計画が、日米合意から11年、ついに動き出すことになります」

これまでヘリからの兵士の降下訓練や上陸訓練などが行われてきたギンバルとブルービーチ。

96年12月、日米両政府はブルービーチへの機能移転を条件に、ギンバルの全面返還に合意。これに対し、地元並里区は、ブルービーチの機能強化につながると、これまで2回、移設の反対決議を可決しています。

年に一度、基地への立ち入りが許される浜下りの日に地域住民に話を聞くと、今も不安を訴える声が大半でした。

周辺住民「住宅地の方に近くなると聞いてるので、ギンバルから移動してくると、騒音が気になる」「反対ですね。浜はきれいだけど、とにかく自由に入れない。(Q:訓練場が出来たらますます入りにくくなるということですか?)そういうことです」

儀武町長「跡地利用計画がどういったものなのか、そしてそこにどういった雇用体系が出来るのか、説明をしていきたい」

儀武町長はことしに入り、移設受け入れに町民の理解を得ようと説明会を頻繁に開催。その時、町民に配られた紙にはギンバル訓練場の跡地に、ガンの早期発見を可能にする先端医療施設や人工ビーチ、また野球場やホテルを作る計画の詳細が描かれていました。

儀武町長「基地を返還させて整理縮小させる。その中で自活できる方法を模索する方法を選ぶ感覚といいましょうか、そこが私は大事だと思っています」

儀武町長が移設の受け入れを今、表明した背景には今年度で打ち切られる基地所在市町村の活性化のための事業費70億円を、このギンバルの跡地利用の財源に充てる狙いもありました。

ギンバル訓練場に隣接する海岸ではすでにこの事業費を活用し、自然体験学習などを行うネイチャー未来館の建設が進んでいます。

並里区・与那城区長「町全体として考えれば、妥当じゃないかとは思います。ただ並里区は負担が来るものですから」

並里区の与那城区長は、町長の決断を理解しながらも、ギンバルの返還によって区の収入が大幅に減り、財政破綻に陥ることを心配します。

与那城区長「区の予算の3分の1は軍用地料で入ってくるもんですから、区の運営も考えないといけない。今、(区に軍用地料が)年間5000万円入ってくるんですよ。それが軍転法になりますと1000万円になり、3年で打ち切りですよね。そのことを考えると大変厳しいなぁというところであります」

つまりこれまで1億5000万円の予算があった並里区が、ギンバルの返還によって今後3年は年間4000万円の収入が減り、2010年からはギンバル訓練場があったことによる国からの補助金がすべてなくなると言うのです。

琉球大学・島袋純教授「三位一体の改革後は補助金の総額が減っているので、喉から手が出るほど欲しいのが補助金じゃないかと思いますね」

国と地方の関係に詳しい琉球大学の島袋教授は財政状況が厳しい地域の足元を見透かし、補助金と引き換えに基地負担へ協力を求める政府のやり方が露骨になっていると指摘します。

島袋教授「パッケージを作ってるのは政府ですし、その中で(地元への)利益供与についてかなり明白に提示したんじゃないですかね。それでこれだったら乗ったほうが得だというふうに(金武町長が)判断したんじゃないですかね」

儀武町長「60ヘクタールを返還させるタイミングは今しかないということで表明にいたった」

町の活性化のために同意に踏みきったと理解を求める儀武町長。

防衛省は、ヘリが飛ぶ場所はできるだけ民間地から離すことなどを文書で金武町へ通知していますが、住宅地の上空飛行を禁止する使用協定を定めることには一切触れていません。そのため、新たな騒音被害や危険性がブルービーチ周辺の住民にのしかかってくるのはほぼ確実です。

儀武町長には「返還出来るところから進めたい。これまでできなかったことを自らの任期中に、解決へ一歩近づけたい」という気持ちが感じられます。ただ、それで結局、いわゆる「アメとムチ」という構図で、政府の筋書き通り進むことになるわけです。戦後、そして本土復帰後もずっと続いている国の沖縄への基地の押し付け姿勢にいつまで合わせなればならないのでしょうか。動かぬ基地でした。