今年1月、南城市では区長を通してこんなチラシが各家庭に配られました。
『もう一度学校で学んでみませんか』
戦中・戦後の混乱期に義務教育を十分に受けられなかった方々を対象に、希望者には小学校・中学校で学ぶチャンスを提供したいというものでした。
南城市教育委員会・高嶺朝勇教育長「私の周りに戦争のどさくさ、それから貧困。そういうものの為に義務教育をしっかり受けられなかった人達が沢山います。戦争でこの方々は学習を絶たれたわけですから、それを回復する機会を与えるとすると、もうここ何年かが勝負だと思っています」
チラシには受講希望の有無の他、どれだけの人が義務教育を受けられなかったのか、実態を把握するためのアンケートも載せました。その結果、回答が寄せられた7つの区130人の内、少なくとも90人の方が十分な義務教育を受けられなかったことが分かりました。
そして今回、この中から5人が学びたいと受講を希望したのです。
南城市が始めた取り組みは、一般的に知られる夜間中学とは違い、地元の小学校に入学してもらい、子ども達と一緒に学ぶスタイル。南城市の教育委員会がそれぞれの学校長と調整を進め、お年寄り達の入学が可能となったのです。
馬天小学校には、大城さん(仮名)と喜納さんの2人が入学しました。受講するのは週1回の国語の授業です。
この日学んだのは、世の中の様々な出来事に不安を抱く少年を温かく包み込むおじいちゃんの話。本読みでは早速、大城さんが大抜擢されました。
戦争で父親を失った大城さんは、長男として一家を支える為、学校へはほとんど行けませんでした。
大城さん「いつもびくびくしてですね。何か書いてくれと言ったら逃げよったんですよ。新聞でも殆ど、半分しか読めないですからね。だから新聞でも全部読めるような学問がついたら幸せです」
大城さんと共に入学した喜納さんは小学校高学年から通えませんでした。ずっと学べる日を夢見ていたものの、結婚後も早くにご主人を亡くし、女で一つで3人の子どもを育て、今ようやく自分の時間が持てるようになったのだといいます。
喜納さん「口はどんなに言葉は飾って言えるけど、この意味のわかった、納得出来るようなお話が出来るまでには、自分は頑張りたいと思ってね」
先生「おばあちゃんね、70歳あまっています。でもいろんなことを一緒に勉強頑張りたいと。特に英語頑張りたいということですので」
知念小学校には普天間さんと幸地さんの2人が入学しました。希望したのは英語の授業です。
普天間さんにとって、この知念小学校は実際に通ったことのある母校です。しかし、父親が戦地に赴き、母親の仕事の手伝いをしなければならず、学校へは満足に通えなかったのです。今でも当時の記念写真を大切に持っていました。
普天間さん「母も、弟二人、妹を学校出さなければいけないので、私一人が稼ぐ人なんですよ」
『その時、学校へは行きたかったですか?』
普天間さん「本当は行きたかったですよ。でも、私が稼がないと、弟達、学校出られない・・・」
今回仲良しの幸地さんに誘われて、一念発起。60数年ぶりに再び母校で学ぶことになりました。
普天間さん「ここまで出てくるのには、この年になって、よっぽどの度胸がないと出て来れませんよ」
おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に学び始めた子ども達に感想を尋ねると。。。
子どもたち「昔の人は何で勉強したがるのかな〜って思う」「すごいと思う。昔出来なかったことを今やろうと思っているから・・・」
今、始まったばかりの新たな試み。それは、学びたくても学べなかった多くのお年寄りの想いに応えるというだけでなく、一生懸命学ぶその姿から、子ども達にも『学ぶことの意味』を肌で感じてもらう貴重な時間となりそうです。
大城さんは、学ぶ喜びをこんな言葉で例えました。
大城さん「もう宝物探しみたい。自分のものにしてしまったら、誰がも盗まないからね。沢山の学問を教えてもらいたいんです。生きている間は学問に不自由しないように頑張りたいと思います」
本来ならば、公立の夜間中学が沖縄にもあるべきなんですが、でもこういう形で出来ることから行政が動き始めているというのは嬉しいことですよね。
今はまだ南城市だけの取り組みですが、今後他の市町村にも広がっていくと、学びたくても学べなかったお年寄り達の思いに応えられますよね。