先週末、春の褒章の受章者が発表されましたが、その中に過疎や離島地域で、長年郵便配達に励んだ方々がいます。人口わずか33人の大神島に、30年間手紙を配達している「離島の郵便屋さん」を紹介します。
宮古島市の北部、島尻集落に住む辺土名豊一さん。日曜以外は毎朝郵便局に行って大神島の郵便物を預かりますそして、郵便のマークのついた自分の船にのり、大神島へと向かいます。高速艇になったので6、7分で着きますが、当初は片道40分もかかり、週に三日しか通えませんでした。そんな時代、合格通知の配達が遅れて、ある生徒があきらめて島を出たというハプニングがあり、辺土名さんは「給料は同じでいいから毎日配達をしたい」と申し出たそうです。
辺土名さん「はい、こんにちは。だいじょうぶ?うんうん」
伊佐さん「今日は来ないかな、来ないかなと楽しみに待っているさ」
17世帯、33人という小さな島だけあって、いまや全員と家族のような関係。
辺土名さん「毎日楽しく仕事をさせていただいて、ありがたく思っているのに、すばらしい賞をもらっていいのかなと・・・」
島尻区長「見えてきたらね、もう入り口から覗くよ、年寄りなんか。『豊一』!と。すばらしいなーといつもみるよ」
住民「(Q:豊一さん来るの楽しみですか?)うん、楽しみよ。(Q:来ない日もありますか?)さびしいよ、来なかったら」
70歳を越すまで勤めた前任者は、このようなサバニで大神に渡り、浅い海を歩いて手紙を届けました。
17年前の豊一さんです。みんなが待っていると、台風でも無理して船を出した時には、大神の年配者に怒鳴られたそうです。わざわざ港まで降りてきて心配してくれたその姿に、ありがたいと感動したことも。
辺土名さん「島の皆さんが喜んで迎えてくれる。島の人たちは本当に純粋で、仏様を見ているようでね。何十年も付き合えた。やめると思ったことは一度もありません。返って毎日が楽しく、幸せな30年でした」
辺土名さんは若いころ、牛の草を刈るために大神に通っていたんですが、当時水不足だった島のためにと、水を運び、全員には渡せないからとこっそり港において帰っていたそうです。それがわかって、島の人に信頼されるようになったそうです。
足長おじさんみたいですね。ずっとお元気で、続けてほしいですね。