現在使われている高校の歴史教科書。集団自決については「日本軍に強いられ」や「日本軍により〜追い込まれ」と、軍の強制を明記しています。
ところが検定後の教科書では軍命を示す文言が削られ、なぜ集団自決に追い込まれたのかがわかりにくくなっています。
大学の教授や小中学校・高校の教師、1フィート運動の会や平和ネットワークなどで作る団体も、これでは日本軍の関与を薄めてしまうと抗議の声をあげました。
62年前、集団自決のあった座間味島。幼児からお年寄りまで、およそ170人とも350人とも言われる人たちが裏の山のあちらこちらで集団自決をし、死亡しました。この時、多くの家族に手榴弾が手渡されていました。
最も絆の深い家族を殺さなければならなかった重く苦しい記憶を背負い続けてきた島の人たち。日本軍からの影響があったからこそ、多くの人たちが死んだのだ、勝手に死んだのではないと悔しさを訴えます。
中村一男さんは、アメリカ軍に捕まれば、手足や耳を切られて殺されると教え込まれていました。
中村一男さん「命令しなかったんだとか、勝手にやったんだとかという言い方は考えられんです」
アメリカ軍が迫り、山に向かったものの、山中で集団自決がおこる直前にその集団から離れ、生き残りました。その時、中村さんの家族にも手榴弾が渡されていました。
中村さん「これで自決しなさいと。米軍に捕虜されて殺されるよりは、この手榴弾で死ねという事かなと。住民が勝手にやったんだと憤慨に堪えないですね」
そして、宮里薫さんは集団自決が行われる壕がいっぱいで入れず、よそへ移り生き残りました。軍命削除の指示に衝撃を受けています。
宮里薫さん「まさかと思いました。それを削除するのはまさかと思ったんですが、もうがっかりですよ。残念」
集団自決という悲惨な経験をし、深く傷ついた島の人たちをまた傷つけるのかと憤ります。
宮里さん「悔しくてしょうがないです。せっかく歴史が残ってきているのに、これをこうじゃなかったといって削除すると言うことは納得いかない」
『アメリカ兵に捕まれば耳や鼻を切り落とされる』と繰り返し、繰り返し教え込んだのは誰だったのか。島の人たちは今回の検定結果を批判します。
国民をどうやって戦争に巻き込んでいったのか。加害者の立場としての反省は、次の世代に伝えるべき歴史のひとつではないのでしょうか。
『沖縄戦の時、とかげの尻尾のように切られ、また切られるのか』と憤る島の人がいたといいます。この言葉は沖縄戦を体験した県民の声でもあります。それまで認められてきた歴史に誰かの意図が働く、この状況を看過するわけにはいきません。