名護市の辺野古海域に建設予定のV字型滑走路の基地計画に対しては沖縄県は難色を示しています。このため、国は県の理解を得て環境アセスの手続きに入るより先に「事前の環境調査」という名目で現地の調査に着手する考えです。
この「事前調査」については県も認める方向で、6月からまた辺野古海域が騒がしくなりそうです。この間ずっと基地反対運動の中心的存在であった地元のお年寄りの話を改めて聞きました。
朝6時。名護市瀬嵩の大城ツルさんの台所は香ばしいにおいに包まれていました。毎週土曜と日曜は朝市があり、ツルさんはその中心メンバーです。ツルさんの天ぷら、もち、特にソーメンチャンプルーはすぐに完売だとか。
ツルさん「手を洗っているからきれいだ。うふふ」
10年前、この瀬嵩集落はほとんどが基地建設に反対でしたが、今は少数派になってしまいました。どうせ建設されるなら見返りを要求すべきだ。そんな声に押されています。
ツルさん「サッシも二重に(防音)してやるとかなんとか言いよった。やらなくていいから、こっちにこれ(基地)をつくらさないほうがいい。家も立派にすると言うんだが、ううん。できない」
ラジオを自転車に積んで出発。今年86歳になるツルさん、颯爽とペダルを踏みます。
親友の美佐子さんは、近隣の嘉陽集落から通ってきます。美佐子さんの持ってくる卵や野菜も、この朝市の人気商品です。
比嘉美佐子さん「(Q:この朝市はいつから?)7年前から。朝市を作ったら、みんな集まって、地域の活性化になるかと思って作ったけど、賛成派の人は一人も協力しないのよね。全部ここに来ている人、みんな反対の人がやっている」
辺野古より北の集落は、基地の受け入れを問う名護市民投票のころ「二見以北10区の会」を立ち上げ、活発に反対運動を展開してきました。しかし、今度のV字案では、瀬嵩も嘉陽も、前以上に被害を受ける地域になります。あれだけ反対したのに、という無力感もあります。
美佐子さん「うちなんか東京へも行ったのよ。この10区から代表で。タライをもって運動したんですよ。自分たちは勝てると、みんな協力してくれると思って。一生懸命やったけど、それが(名護市長選で)負けたもんだから、みんな落胆しているの。ほとんどの人がね。本当は反対かも知らんけど、その意思表示を出し切れないの。うちらはもう、最初からずっと反対。絶対に死んでもだまされないという心があるのよね」
先週、防衛施設局は「事前調査」の許可を得る「公有財産使用協議書」を県に提出。環境アセスには同意していない県も認める方針で、6月にも辺野古海域の現況調査に着手します。しかし、これでは「事前調査」名目で強行したボーリング調査の二の舞だと反発も出ています。
城間さん「アセス法に基づいて進めるべきなのに、そのアセス法さえ無視して進められる。これは二重、三重に沖縄県民を踏みにじっていくもの」
東恩納文子さんはどうやったら基地建設を止められるか。それを考えると、夜もなかなか寝付けないと話します。
東恩納文子さん「みんながね、あんなに必死になっているのに、どうしたらいいなかあと。年寄りはね、死んでも(反対で頑張る人を)助けたい。生きてても役にはたたんから。こんなにまでアメリカーにされると思ったら・・・。情けない」
名護市辺野古。国立高専に、新しい公民館も完成し、この10年ですっかり眺めも変わりました。年月が流れ、基地と共存する覚悟を決めた住民も多い中で、反対を訴えるのは年々きつくなっています。それでもこの10年、変わらずに基地は嫌だと頑張ってきた方々もいます。
島袋文子さん「嫌がらせもたくさん受けたけど、それは痛くもないし痒くもない。しかし、本当にそこにヘリポートを作っていいことがあるか?子々孫々にまで苦しみを与えるんだよ」
小禄信子さん「みんなが一緒になれば、こんな思いをしないでいいんだけどね。お金が絡んでいるかねー、と不思議でならないです」
島袋文子さん「行政委員だけが地元の住民だけじゃないわけ。『地元住民は賛成しています』って、誰もしてないです。嫌だと言ってる人もいるんだから。人間は生きるのも一回、死ぬのも一回だからさ。その覚悟でやらんと。ウチナーンチュの根性はどこに行った、と思うわけ。昔のウチナーンチュは、コザ暴動ね、あれは一人の人間が車をひっくり返して、そしたら立ってる人がみんなワッセワッセとやったんだから。あの勢いがあれば、あんなヘリポートなんて作らすもんね?」
この10年、国からの圧力も、県や市の政治決定をも跳ね返してきた住民運動。しかし、今回政府はグアムへの移転など、負担軽減策や補助金と絡めて基地建設を迫っています。沖縄県知事も同意する初めてのアメリカ軍基地がついに着工されるのかどうか。辺野古の基地建設は今、正念場を迎えています。