去年設立された犯罪被害者の支援グループ「ひだまりの会」。代表を務めているのは事件で夫を亡くした遺族です。悲しみに押しつぶされそうになりながらも、前向きに生きようと奮闘する姿を取材しました。
川満由美さん「今までずっと声をあげられずに、自分自身どうしたら良いのかわからない中で戦ってきた方たちが、こういう場で時間を共有することによって、まず第一歩の私がしているグリーフワークができるのではないかと思っています」
こう話すのは川満由美さん。去年9月に設立された犯罪被害者の支援グループ「ひだまりの会」の代表です。彼女は、犯罪被害にあった人たちの「悲しみを癒す作業=グリーフワーク」を始めました。
川満さんの夫・正則さんは2005年2月、那覇市の路上で強盗に顔面を傘で刺されて死亡しました。
事件の8日前には待望の二男が誕生したばかりでした。専業主婦だった川満さんは赤ちゃんと3歳の長男を抱え、夫の会社の経営を引き継ぐことになったのです。
川満由美さん「凄い自分の精神的なつらさと、会社としての社長としての立場。そのギャップが凄くあって、一時期は気が狂いそうになっていて。それを一回親に話したときに、あたなはもう2児の母親なんだし、会社も継ぐことになったんだから、しっかりしなさいと言われて、これ以上どうしっかりすれば良いのっていう状況だったんですね」
遺族の多くが裁判で初めて事件の真相を知ります。被告は幹部自衛官だったにもかかわらず、ギャンブルなどで借金を作り、財布を奪うため、正則さんを襲いました。しかし検察は、殺意を立証するのは難しいとして、殺人罪より罪が軽い強盗致死罪で裁判にかけました。それは遺族にとって到底納得のいくものではありませんでした。
川満由美さん「見知らぬ人がいきなりやってきて、ぶんなぐられて殺したんだから、どう考えても殺人じゃないですか?本当に一番幸せなときだったのに、あんな風に殺されて、本当に悔しかったと思うんですよ・・・」
なぜ自分たちの悔しさを理解してもらえないのか、裁判所や法律はなぜ味方をしてくれないのか、遺族の多くが疑問を感じています。
多くの遺族を取材してきた作家の藤井誠二さんは法制度の遅れを指摘し、理由をこう話します。
藤井誠二さん「犯罪にあって殺されるという壮絶な凄まじい体験をやはり僕らは想像できないからだと思う。どんな風に生活や人生が破壊されるかということに対して、やはり想像力が欠如しているせいだと思う」
2000年、全国の犯罪被害者が「あすの会」を設立。当事者や遺族が裁判で意見を述べる権利の確立や、精神的・経済的援助を受けられるよう法整備に乗り出しました。これまで孤立していた遺族が手を取り合って立ち上がったのです。
実は、川満さんを支えたのも全国の遺族たちでした。『一人で抱えていけるほど強い人はいない。辛いときは何もしなくてもいい』。仲間たちの言葉に心が動かされたのです。
川満由美さん「こんな重大なことが人生の中で起こったのに忘れることなんかまずできないでしょ。第一、忘れる必要が何であるのって言われたんですよ。それで忘れる必要はないんだって初めて気づかされて」
裁判で川満さんは「意見陳述」をしました。仲間の支えがあったからこそ、法廷に立つ勇気が出たのです。
川満由美さん「とにかく正則さんの尊厳を取り戻したい、生きていた証をきちんと話したかった」
川満さんは「ひだまりの会」をその名の通り、犯罪被害にあった人たちにとって暖かく、安らげる場所にしたいと考えています。そうすることが「夫の死」を無駄せず、子どもたちと前向きに歩んでいく一歩だと思うからです。
川満由美さん「お母さんは、お父さんのためにやるだけのことはやったよということを見せてあげたいですね。それが子どものケアにもつながっていくと思うし、忘れることなんか絶対にできないから、だったらそれを形にして残してあげたい・・」