5月のアメリカ軍の再編計画がまとまって以降初めて、きのう、普天間基地の移設に向けた協議会が開かれました。北部振興策のあり方などを巡って、直前に一時県が協議会へ参加しない方針を示すなど、状況は二転三転しました。そもそも県外移設を未だに主張する県が、名護市辺野古への移設計画を進めるための協議会に出席することそのものが県民にとってとてもわかりにくいのですが、背景には、相違点を覆い隠して、着々と地元の包囲網を固める政府の姿が見えてきます。
今月19日、辺野古漁港を訪れた防衛庁の額賀長官
額賀長官「お参りしておこう」
港の近くの御獄を参拝しました。
記者「長官、今何をお参りされたんですか?」
額賀長官「海の安全ですよ。それと漁民の安全」
記者「それは基地を作ってもという意味ですか?」
額賀長官「あなたたちは勘ぐり過ぎですよ」
アメリカ軍再編計画の懸案だった普天間代替施設について、政府は4月、V字型滑走路を作る政府案で名護市と合意。当初から県外移設を主張してきた県は政府案を受け入れられないと、拒否の姿勢を続けましたが、5月、稲嶺知事は政府案を基本に協議を進めるとの基本確認書にサインしました。
稲嶺知事「(Q:合意ですか?)それは全く違います。あくまで確認書を基本に話し合うということです」
理解に苦しむ稲嶺知事のこの発言について、額賀長官も後に記者団に次のように語っています。
額賀長官「私は知事がなぜそういう発言をするのか、よくわからない」
基本確認書への合意は、当然政府案への合意。政府はそのまま閣議決定。政府と地元の話し合いは、初から根本的な相違点を抱えたままスタートしたのです。
額賀長官「かりゆしを着た防衛庁長官というのは初めてじゃないかと思っております。似合うんじゃないかなって思って」
あれから3ヵ月。任期も、来月の総裁選までとなった額賀長官の3日間にも及ぶ沖縄滞在の目的は、地元との親密な関係を県内外にアピールし、普天間の移設計画を実行段階に移すため、県と地元に協議会への参加を促すためでした。注目の県との協議では、県が主張する暫定的なへリポートを建設するという案について、議論すること自体はやぶさかではないと、協議に応じる姿勢を示すことで協議会に参加するよう、揺さぶりました。
豊原区長「『絶対にダメだ』では前に進まない。譲れるところは譲っていく」
99年の閣議決定で決まった毎年100億円もの巨額の北部振興策に漬かってきた北部市町村。今年5月の閣議決定でその打ち切りが発表されているため、来年以降の継続を確認するためには、一刻も早く協議会を開き、政府から確約を取る必要がありました。
手作りのヤギ汁で、これ以上ないもてなしを受けた額賀長官。
額賀長官「私にまかせてください」
北部市町村との信頼関係はより確かなものになったかにみえましたが、帰京した額賀長官は、新しいカードを切ったのです。
「北部振興策は、新しい基地建設の進み具合に応じて提供される」出来高払い。振興策と基地建設を密接にリンクさせたのです。
普天間基地を見下ろす額賀防衛庁長官。これは8年前の98年当時の映像です。上空から、辺野古の海岸も視察しています。
あれから8年。額賀長官をはじめ、防衛庁幹部は辺野古への基地建設計画が何も進まなかったにも関わらず、多額の振興策だけが実施されたことに強い不満を抱いているのです。
記者「2年前のヘリ墜落事故後のあと、政府は普天間の受け入れ先として本当に全国を探したんですか?」
沖縄滞在中に開かれた夕食会で、地元記者に質問に対し、額賀長官はこう開き直りました。
額賀長官「すでに名護市と決まっているのに、なぜ探す必要があるんですか」
結局きのうの協議会では、地元に配慮し、小池沖縄担当大臣が振興策と基地建設とのリンクを弱める表現で挨拶することで協議会はスタート。政府案を基本とする、具体的な基地建設計画に地元が参加して動き出したのです。
額賀長官「振興策と基地の建設は同時にしっかりと進行していく」
あくまでも強気の政府。一方県は相違点を先送りにして、政府との対立だけを避けてきました。その結果、積み残されたいくつもの矛盾は今後、県民の肩に重くのしかかっていくことになります。
政府は、県の暫定へリポート案を協議してもいいとの姿勢を見せていますが、実際に検討するつもりがないことはこれまでの動きを見ても明らかです。一方で、県側は基本確認書に合意したり、きのうの協議会に参加したことで誤ったサインを政府に送っていることは明らかです。
次々とカードを切る政府に対して、できるだけ喧嘩を避けて、逃げ道ばかりを探してきたツケがここにきて露呈してきたと言えますが、9月には総裁選挙、11月は県知事選挙と、双方ともに懸案は次の政権にそのまま引き継がれることになります。