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きょう返還された読谷補助飛行場は旧日本軍の接収から62年後の返還となります。返還されたのは読谷補助飛行場の全体のおよそ4分の3にあたる138ヘクタールです。

読谷村での調印式では、補助飛行場の国有地と、読谷村が嘉手納弾薬庫内に所有する村有地とを等価交換することに、総合事務局の財務部長と読谷村の安田村長が署名しました。土地を所有して跡地利用計画を進めたいという村の要望に国がこたえたものです。

安田慶造・読谷村長「戦後60年余の時の流れと、きょうの日をみずして他界されました先輩方の苦労を思います時、誠に感慨深く、感激で胸一杯です」

読谷補助飛行場は、1996年のSACOの最終報告で2000年度末までの全面返還が合意されていましたが、条件となっていた楚辺通信所のキャンプ・ハンセンへの移設が遅れ、返還が大幅に遅れていました。

その後、読谷村の再三の要請を受けて、国は楚辺通信所の半径1キロ以内を残して今回の138ヘクタールを先に返還したわけです。実に62年の歳月が経ちました。

返還後は農業基盤整備を中心に、個性豊かな田園空間を造りたいと意欲を見せる安田村長。跡地利用にかかる費用を70億円と見込んでいて、今後は予算の確保などに力を注ぎます。