明後日で、沖縄戦が終結してから61回目の夏を迎えます。基地問題を初め、沖縄には様々な終わらない戦後の問題があります。これまで、ステーションQでも何度かお伝えしてきましたが、義務教育を受けられなかった人々の問題もその一つです。この1年、夜間中学で学ぶ生徒達を追いましたが、社会的にもドラマがありました。
一昨年の春、沖縄に初めて誕生した珊瑚舎スコーレ『夜間中学』。平均年齢68歳のお年寄りたちが月曜から金曜までの毎日3時間、国語や数学音楽など、基礎から学んでいます。
戦争や戦後の混乱で義務教育を終えることの出来なかった方々です。
新垣さん「楽しいですよ。自分が今まで解らなかったことを教えて下さいますから。とっても楽しい。これがね、あと20年くらい早くあれば良かったのに・・・」
本土では戦後間もなく夜間中学が誕生したのですが、長きに渡りアメリカの施政権下にあった沖縄ではずっと見過ごされてきたのです。
沖縄にある夜間中学は珊瑚舎スコーレただ1校。しかもNPOが運営する民間の学校です。寄付金に頼る厳しい運営状況でボランティアの手によって支えられています。
去年の8月。街頭に立って署名を募る生徒たちの姿がありました。珊瑚舎は正式な夜間中学校ではないため、勉強しても卒業証書がもらえません。どうにか卒業証書を出してほしいと県に訴えるための活動です。
こうして集められた署名は1万6000余り。この署名がこれまでなしのつぶてだった県を動かしたのです。
夜間中学に学ぶお年寄りたちの思いを直接聞きたいと、県議会の専門委員会が生徒の代表を招いたのです。
安村さん(仮名)「今だったら、行ける。何があっても絶対そこにお世話になって、今までの分、できるだけ勉強したいという気持ちがとってもありました」
沖縄ではずっと顧みられることのなかった人々。生徒たちが抱えてきた現実は議員の胸に大きく響きました。
そして、これを受けて開かれた教育委員会への質疑では・・・
兼城議員「戦後のいろいろな戦後処理がありましたけれども、飛行場の問題、土地の問題、不発弾の問題がありました。しかし、教育の面ではこういうものがあったということについて、自分自身が気づかなかったというか」「私はやっぱりこういう状況はお互いが解らない状況だったと非常に反省しております」
議員からの厳しい追求に、教育長から思いがけない言葉が飛び出しました。
仲宗根教育長「その問題については、この沖縄県の戦後処理の問題として、県あげての考え方にしないといけないのではないかと」
夜間中学の問題が沖縄県の問題となった瞬間です。珊瑚舎スコーレの生徒たちが卒業証書を手にできる可能性が見えてきました。
日頃の勉強の成果を披露する学習発表会。生徒たちの子や孫が大勢詰め掛けました。
新垣さん「グッド イブニング エブリバーディー」
金城さん「マイ ネーム イズ キミコ キンジョウ アイ ライク ウォターメロン」
家族「やはり学校へ通えなかったというのがすごく引け目というか。世間に出るときに、字を書くにしても、何をするにしてもその点がすごくマイナスになったみたいで・・・。それをずっと垣間見てきたようなもんですから・・・」
あの時代に学べなかったことを学び始め、少しずつ自信をつけていく生徒たち。その熱意は県をも動かしました。NPOの小さな学校の取り組みは今尚学びたいと思っているその他多くのお年寄りたちを含む社会全体の問題として動き始めています。
QABでは、明後日23日午後2時から慰霊の日報道特別番組として、珊瑚舎スコーレ夜間中学に学ぶ生徒達のこの1年を取材した「我が母校『夜間中学』〜戦後60年目の春」を放送します。どうぞご覧下さい。