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読谷補助飛行場の部分返還がきょう、正式に決まりました。1944年の旧日本軍の強制接収とそれに続くアメリカ軍の接収から実に52年目の返還です。
2000年度末までにとしていた返還作業が大幅に遅れていたアメリカ軍の読谷補助飛行場について日米両政府は、全体のおよそ4分の3にあたる140ヘクタールをことし7月末までに返還することに合意しました。
読谷村安田慶造村長「長年の願いがかないうれしい」
ことし7月末までに返還がされることになったたアメリカ軍の読谷補助飛行場は、1996年のSACOの最終報告で、2000年度末までの全面返還が合意されていましたが、隣接する楚辺通信所、通称『象のオリ』の移設が条件で、キャンプハンセン内での代わりの通信施設の整備が遅れていたため予定を5年過ぎた今も返還が実現していません。
こうした中、読谷村は飛行場を楚辺通信所と切り離して早期に返還するよう再三要請。これを受けて日米両政府はきょうの日米合同委員会で、楚辺通信所に近い部分およそ50ヘクタールを電波の緩衝地帯として残し、全体のおよそ4分の3にあたる140ヘクタールをことし7月末までに返還することで合意しました。
変換後は去年3月に作成した跡地利用実施計画に沿って健康増進施設や競技場、また、農業基盤施設の整備を進める方針です。読谷補助飛行場は地主が旧日本軍の接収に遭い、その後アメリカ軍が強制収用。パラシュート降下訓練などによる基地被害も相次ぎました。返還後は都市型ではなく個性豊かな田園空間を造りたいと跡地利用に意欲を見せる安田村長。村民のための跡地利用を期待します。