普天間「白血病と闘う恩師へ恩返しの夏」

かつてアフリカ・ザンジバルの生徒たちに野球を教えた元監督の上原拓さん。その生徒たちを県内に招き沖縄高校球児との交流も実現させましたが、今は白血病と闘いながら療養生活を送っています。

監督に代わってチームをまとめることになったキャプテンを支えたのは、幼なじみでもある同志でした。

めざせ甲子園! 普天間「白血病と闘う恩師へ恩返しの夏」

上原拓さん「アメリカに行って世界最高峰のレベルで活躍したいと思うのであれば彼らは一番レベルの低いところを本当にゆっくり追いつけないくらいのスピードでゆっくりゆっくり歩いている。アフリカ大陸に視線を向けた時には野球が普及していっている最前線を彼らは全力疾走でダッシュしているような光景にも見えた。自分の捉え方・見方で見えている世界が変わる見えているもの・景色が変わってくるというのを一番伝えたかった」

先月4日。10年前、JICAの青年海外協力隊員としてアフリカ・ザンジバルで野球を教えた生徒たちへの思いを語ったのは、普天間の元監督・上原拓さん。当時の経験や出来事を綴った本の出版を記念するイベントで、かつての教え子たちを前に自身を襲った病に触れました。

上原拓さん「白血病という病気。5カ月間入院してずっとベットで1人で今まで体験したことのない5カ月間を過ごした。この期間があったから今の自分の仕事に対する捉え方だったり家族との過ごし方だったりもしかしたら自分が死ぬかもしれないという自分の死と向き合った。自分のこれからの生き方とか言動・行動が変わってくるところもあるかなと思って」

急性リンパ性白血病に見舞われた上原さんがグラウンドを離れたのは、3年生が新チームを結成し厳しい冬のトレーニングに向かおうとしていた去年11月。選手たちが状況を飲み込めない中瀬名波監督は志半ばで半年間の入院を余儀なくされた上原さんからチームを託されました。

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普天間 瀬名波幹智監督「新チームを引き継いだ時にやっぱり強くしてやらないといけないなと上原先生も強くしたいとか3年生への期待が大きかった」

去年秋の初戦では優勝した興南と対戦。5対0の完封負けを喫しましたが、2回戦から準決勝までコールド勝ちを続けた伝統校を相手に9回まで戦えたことがチームの自信に。冬のトレーニングにも耐えその成果を見せようと春の大会に挑みましたが、10対0の5回コールドで北山に敗れました。

普天間 大谷一陽 選手「秋と春の借りは夏の大会でしか返せないので。今まで関わってくれた指導者やチームメイトに恩返しできる夏にしたい」

夏を前にチームでは今、上原さんと瀬名波監督に1勝を届けようと2年生が台頭するなどレギュラー争いが激しくなっています。春のエース・国仲陽志(くになか・ひざし)は監督交代というチームにとっての大きな変化にキャプテンとして直面しました。

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普天間 国仲陽志 主将「1人で全部どうにかしようとして抱え込んでしまっていた部分があったので、チームを引っ張ることに関して少し背負ってもらうことで自分自身が楽になったと思う」

チームがまとまらない苦しみやもどかしさを支えてくれたのは、保育園からともに過ごしバッテリーを組んできた幼なじみ。そこには野球を始めるきっかけをくれた特別な思いがありました。

普天間 友利修一郎 選手「そもそも自分が野球をしたのは陽志が自分に声をかけてくれてそこから野球を知れたしその一声がなかったら一緒にここまで成長できなかった。かけがえのない存在。自分の人生の中で大事な存在なので自分がやらないといけないなという気持ちになった」

普天間 国仲陽志 主将「練習に対しての厳しい声だったり指摘する人がいないとチームは上がっていけないので、こいつがいなかったらここまで自分もチームもまとまってこられなかったと思う」

大きな壁を乗り越えたからこそチームに生まれた”仲間を大切にする気持ち”や”1勝への思い”それは夏に向かう一人ひとりの原動力にもなっています。

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普天間 仲村春人 選手「応援に来てもらって必ず勝って上原先生にも気持ちを伝えたい」

普天間 佐久本在人 選手「自分たちが全力で楽しんでプレーしている姿を見せて勝ちにこだわってやっていきたい」

普天間 友利修一郎 選手「最後は気持ちで負けないようなチームを目指してやっていきたい」

普天間 国仲陽志 主将「上原先生は病気と僕たちは野球で戦っていく一緒に夏に向かって戦っていければ」

グラウンドで絆を深めた普天間!1勝の先も見据えた恩返しの夏に挑みます!

「甲子園行くぞ」

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