首里城正殿の顔ともいわれる「唐玻豊妻飾(からはふう・つまかざり)」を制作するのは、富山県に伝わる歴史と伝統ある井波彫刻の技術を持つベテラン職人・砂田清定さんです。
砂田さんが携わってきた過去の復元や自身の作品づくりとは勝手が異なるという沖縄の彫刻に苦戦されながらも、往時の正殿を取り戻そうとこれまで培ってきた技術、そして周囲の助言とともに確信とこだわりをもって彫り進められていたのがとても印象的でした。
試行錯誤を経て完成した妻飾はこれから彩色を経て、春にも正殿の正面を飾る予定とのこと。それを見るのが今からとても楽しみです。
2024年、1年間で再建の現場はすっかり様変わりしました。木工事に加えて、瓦工事、塗装工事が本格始動し、在りし日の姿を取り戻しつつあります。また、県内外で製作された正殿を飾る多くの彫刻物なども納められ、現在は彩色の作業が進められています。
復元に携わる誰もが強い責任感とプライドを持って作業に向き合っていること。そして令和を生きる若い世代に匠の技と沖縄のシンボルにかける熱い思いが継承されていること。復興の現場は思わず胸が熱くなるシーンの連続です。
2025年も映像を通して、視聴者のみなさんに丁寧に首里城の今、復興に対する人々の思いを伝えていけたらと思います。
実は、私も今回の取材で初めて興南学園にこうした活動をする生徒たち、部活動があることを知りました。今年で創部15年目で、なんと興南で今一番部員数が多い人気の部活動だそうです。個性豊かで、発想力にあふれた生徒たちが多くどんな新しいお土産が生まれるのか、今から楽しみです^^
顧問の先生のお話しを聞くと、他の運動系や文科系の部活動と違い、大会などがないために生徒たちのモチベーション維持が難しいそうですが、活動が放送されることでみんなのやる気に繋がりますとおっしゃっていました。
これから首里城を訪れる県外、沖縄のみなさんも一緒になってお土産開発を見守っていただけたらうれしいです!続編は来年の春頃を予定しています。
今回、取材した興南アクト部のみなさま。実はQABの夏の恒例イベント「夏休みこども自由研究」でも運営に携わってくれたことがあるんです。
それくらいアクト部の活動の幅は広く、今回、首里城の取材を通しても”自分の言葉”にしっかり落とし込み、同世代の修学旅行生に向き合う彼らの姿にとても関心しました。
県内で活動の幅を広げる彼らを今後も応援していきたいと思います!
ちなみにここだけの話ですが…
岸本くんは、案内した同世代の女子中学生たちからモテモテ(高評価)でしたよ(笑)
首里城の取材中よく耳にする人物がいます。“鎌倉芳太郎”香川県出身。戦前の沖縄をめぐり、記録し続けた沖縄研究家です。
戦前には老朽化で取り壊しが決まっていた首里城を救おうと奔走し窮地を救い、戦後には残した資料が平成の首里城復元を可能にしました!もちろん令和の復元でも大いに芳太郎の資料は活用されていて、その偉大な功績から「首里城を3度救った男」と呼ばれています。
今年は芳太郎の芸術調査から100年、そして来年1月には顕彰碑が建立されます。この特集を通して“鎌倉芳太郎”という人物の凄み、残した資料のすばらしさがより伝わればと思います。
今回取材した伊計安さんは平成・令和と大龍柱など石工事に携わってきた職人です。時代が巡っても「良いものを作りたい」という職人の思いは変わらない、作業の中で成長してほしい自信をつけてほしいと、後進の育成に尽力されている姿が印象的でした。
また龍柱が完成した暁には、正殿に据えるという重要な役目を担うそうで、「首里城で成長した人間が首里城で最後に成果を成し遂げるというのも悪くない人生かなと思う」と語っていました。
起工から2年。5月には工匠式も執り行われるなど木工事の節目を迎えた今回の復興のキセキでは、首里城の復興に欠かせない5人の“宮大工さん”をCATCHYのスタジオにお招きしました。
令和の復元のテーマの一つが“次世代への技術継承”。実際、首里城の再建現場には80代、平成の復元を経験したベテラン職人だけでなく、最年少・21歳の後藤さんをはじめ、20~30代の若手も活躍していて、中には県出身者の姿もちらほら見られるんですよ!
みなさんが「沖縄のシンボル」をどんな思いでつくっているのか、「どんなところに苦労したか」など、普段はガラス越しでしか会えない職人の声・表情から5人の素顔が垣間見える回となっています。ぜひご覧ください
今回は首里城の地下に眠る第32軍司令部壕をテーマに、負の遺産について正しい知識を後世に語り継ごうと活動する団体を取材しました。
現在、第32軍司令部壕は壕内の落盤や浸水の影響で、保存公開はされていません。しかし「沖縄戦を知る場所として残したい」と語るガイドの仲村誠は、保存公開を可能にするために、年に数回、第32軍司令部壕について学ぶフィールドワークを行っています。
首里城の輝かしさだけでなく、負の遺産として残る第32軍司令部壕も是非、多くの方に知って頂ければと思います。
30代前半で平成の首里城復元プロジェクトに携わってから約40年。首里城公園のすべての復元に携わってきた(株)国建 建築士の平良啓さん。
現場では「この人なくして再建は成しえない」とさえ言われるほど信頼の厚い方で、平良さんが平成の記録を書き留めた通称「平良ノート」は令和の復元でも貴重な資料として役立てられています。
今回は設計士として現場に関わりながら、これまで自分を育ててくれた先輩たちから受け継いだ思い、そして知識や経験を次の世代にバトンタッチしたいと意気込む姿を取材しました。
沖縄から飛行機、新幹線、電車、バスを乗り継ぎたどり着いた富山県!「沖縄からよく来てくれました」と砂田さんは私たち取材クルーを本当に温かく迎え入れてくださりました(私は一気にその人柄に惹かれました)。
普段の作品作りとは全く異なる「復元」の作業は、この道52年の砂田さんをもってしても難易度が高く、しかも沖縄という様々な国や地域の歴史・文化がチャンプルーした土地の彫刻を担当するのは、並々ならぬ努力が求められるのだと言います。
それでも沖縄に思いを馳せ、島を知ろうと専門家の意見ひとつひとつに真摯に耳を傾け、手を動かす砂田さんの姿、そして「沖縄ないし日本の財産となるものをつくりたい」と力強く意気込む言葉に胸を打たれました。
令和の復元は日本全国から集まった材料を使い、日本中の高度な技術を結集して進められています。ほんの一部分ですが、この特集から感じてもらえたら幸いです。
今年の夏頃から令和の正殿を彩る屋根瓦には、首里城火災で焼け残った瓦を砕いたシャモットが配合されています。まさに「平成のDNA」を受け継ぐ瓦なんてすが、その原料をどう混ぜ合わせているのか、平成と令和で何が変わるのか気になりませんか?
携わる瓦職人の想いとともに取材しています。ぜひご覧ください。
2年後の再建に向け、着々と進む首里城正殿。正殿正面に建つ「向拝柱」を滑らかにするための「刻苧詰め(こくそづめ)」と呼ばれる下地工事が始まり、見学エリアから見ることができます。
令和の復興には多くの人が携わっていることは皆さんご存知かと思いますが、再建後の首里城を維持していくために大切な役割を担う技術者・職人さんと呼ばれる人たちの存在は欠かせません。
50年先、100年先それ以上の時を見据えた人材の育成には大変な労力が必要だとわかりました。先人から受け継がれた技術をまた次の世代へとつないでいく職人さんに期待し、永遠に朱い城を守ってほしいと思います。
令和の復元のテーマは「見せる復興」 。再建現場を訪れると、ガラス越しでもわかるほど細かで丁寧な職人の手仕事を見ることができますが…みなさん一体どんな人なんだろう、と気になりませんか?
そこで、今回の特集は『宮大工の素顔』と題し、若手からベテランまで4人の宮大工を紹介しました。首里城復興にかけるそれぞれの思いや何を活力に日々現場で汗を流しているのかなどの話を聞いています。VTRを通して、作業に当たる人々を身近に感じていただき、もし時間があれば再建の現場に足を運んで実際にみなさんが働く姿を直接ご覧いただけたらと思います。
一寸の狂いないよう進められる繊細な作業、ひとつひとつ木材の表情を確認しながら加工、正殿を形作っていく宮大工さん達、本当に格好いいです!
1〜2週間に一度、復興の進捗を撮影しに素屋根の中に入らせてもらいますが、大きく進展する首里城復興の姿に毎回驚かされています。
今回はその最前線で働く宮大工さんの復興にかける思いとそれぞれの活力源を聞かせてもらいました。首里城への熱い思いや誇りを胸に作業されているのだということを映像から感じ取ってもらえたら幸いです。
素屋根の中で黙々と働く職人の素敵な素顔を垣間見た、そんな取材でした。