シリーズでお伝えしている「語り継ぐ沖縄戦」。きょうはその性質上、これまであまり語られてこなかった問題を取り上げます。
第32軍司令部壕の説明板の記述をめぐり、ことし再び注目を集めることになった「従軍慰安婦」。多くの資料や証言で明らかになるその被害の実態とは。
那覇市首里の第32軍司令部壕。ことし3月、県が設置した説明板が注目を集めました。
沖縄戦の研究者らで構成する説明板設置のための検討委員会が作成した文案から、県が「慰安婦」などの記述を削除したのです。
知事「県の一種の公文書みたいなものですから、内容によって事実であるかどうかというのは、県は県で判断して書くというのは当然ではありませんか」
新城委員「(検証が)足りなければ、さらに資料を持ってきたり研究者を加えたり、色んな工夫ができるわけです。そういったことを一切排除して、これで決定しましたということが納得いかない」
記述の削除について「(第32軍壕に関しては)確証が持てないため」とする県。再検証を求める検討委員会や市民団体。議論は平行線のまま、今も決着はついていません。
企画展実行委・高里鈴代さん「実はこの130余りの慰安所が沖縄本島全域にできてくるわけです」
高里鈴代さん。仲間と共に、市町村史や日本軍の資料などから、沖縄戦で日本軍の慰安作業を強いられた女性たちがいたことを明らかにする企画展をつくりあげました。
性行為を介する問題であることから、元慰安婦や加害者として関わった兵士たちが、公に声をあげる例は数えるほどしかありません。
高里さん「段々と問題が曖昧になってくると、好きでやってたんでしょうとか、慰安婦にされた女性のほうに視点がいくんだけれども、そもそもなぜこれが存在するのかということが限りなく軍の行為なんですよ」
企画展では、慰安婦制度の目的が兵士の地元女性への強姦を抑制するという「強姦対策」、戦力を維持するための「性病予防」や「ストレス発散」などにあったと指摘。慰安婦にするため、日本軍によって、植民地だった朝鮮や中国などから連れてこられた女性たちがいたこと。県内でも辻遊郭の女性などが、ターゲットにされたことを紹介しています。
1日に数十人もの兵士の相手を強いられたという性奴隷そのものの暮らし。暴力や性病などにも苦しみました。
日本軍の資料には「軍人倶楽部」と称された慰安所の設計図が。
アメリカ軍が作成した第32軍壕の見取り図には「女性たちの部屋」があったことが記されています。
(鉄血勤皇隊として壕にいた)大田昌秀さん「その時は慰安婦ということはわからなかった。ただ女性たちがいることは見ていて、なぜ戦場に女性がいるのかということを(仲間と)話し合ってた」
展示された資料や証言は「慰安婦」制度が軍によって組織的に行われたものであること。そして第32軍壕をはじめ、県内各地に多くの慰安婦がいたことを浮きぼりにするのです。
来場者の中には留学生の姿も。
ミャンマー人留学生「こんなことがあってはならない。戦争によって起きたことです」
中国人留学生「この沖縄で、日本で戦争で被害にあった日本の女性だけではなく、朝鮮や中国の女性の被害も経験もみんなに教えることはこの戦争の一種の証拠になりますよね」
会場には、慰安婦であったことを初めて明らかにしたペ・ポンギさんの遺品も。
(親戚の家が慰安所にされた)吉川さん「韓国から来て、非常に色が白くてすっきりしたお姉さん達を見て、子ども心にもきれいなお姉さんたちだなとそういう印象が強かったですね。当時は、これは差別の激しいものですからね。性の奴隷というのかな。(兵士は)あんまり罪悪感もなかったんじゃないですかね」
戦後のアメリカ兵による性暴力犯罪に関するコーナーも。
企画展実行委・浦崎成子さん「敵国の女性に対しては、何をしてもいいという考えを持ってるということ。それは日本軍であれ米軍であれ同じように、軍隊が女性に向かっていく性暴力は同じだということ」
そして、軍だけではなく、私たちにも加害者だった一面があると指摘します。
高里さん「実は強姦防止のためには必要だという眼差しで見ていたり、蔑みの眼で見ていたりというものが、実はある意味、戦争を構成していく、進めていくものの大きな要素となっているのではと思います」
来場者「なかなか広く共有されてこなかったという点でも、戦争の捉え方とか、考えることがあるのかな」「戦争の罪というのでしょうか。そういうことを私たちは見守り続けていかないといけないというふうに思います」
読谷村にある慰霊碑。朝鮮人慰安婦らの思いを刻んだ碑は、私たちに問いかけます。
「この島はなぜ寡黙になってしまったのか なぜ語ろうとしないのか 女たちの悲しみを」
慰安婦問題を通して気づかされる私たち自身の差別意識や加害者性。忘れてはならない沖縄戦の一面です。
慰安婦に関する書籍などを買う人の中には、かつて兵士として関わった人が少なくないといいます。反省の念からなのか、思い出話としてなのか。その理由は人それぞれです。
実行委員会のメンバーは、今も当時の記憶に苦しむ元慰安婦の方がいたら「あなたは戦争の被害者だったんです」と伝えたい、と話していました。
企画展は27日までです。