宜野湾市緑ヶ丘保育園にアメリカ軍ヘリからの落下物と思われるものが見つかってから7日で1年。お母さんたちの姿は再び東京にありました。それまで普通に生活してきた保護者たちがこの1年間戦ってきた思いは。
2018年12月、保育園の屋根に落ちてきたのは、アメリカ軍ヘリの部品。園庭まで、わずか数10センチのところでした。アメリカ軍は、ヘリの部品であることは認めながら、飛行中に落下したものではないと否定。1年経った今も未解決のままです。
チーム緑ヶ丘与那城千恵美さんは「この1年ずっと理不尽だらけと絶望と、そういうのがいっぱいあって何回も泣きました」と話しました。
こう話すのは、保護者やそのOBらでつくるチーム緑ヶ丘1207のメンバー。詳細が解明されない中、地元宜野湾市や県、国、そしてアメリカに対して、事件の原因究明や、園上空での飛行禁止などを求め続けてきました。
これまで普通の生活をしてきたお母さんたちにとって、行政に声をあげるのは、とても勇気の要ることでした。与那城さんは「すごい緊張するんですよやったこともないからみんなで(肩をたたいて)気合入れるようになった」と話していました。
しかし、12万6千筆もの署名を携えて、2月に上京し要請した際には。防衛省の担当者は「現在防衛省としては米側が調査中ということでございましてその調査の結果について待ちたいと思います」と発言。アメリカ政府の言い分を代弁するだけの政府に、不信感を募らせ、悔しさが溢れました。
与那城さんは「最初にまず落下を認めない米軍に対して日本政府が『はい、そうですか』と受け入れたときに、びっくりしましたし、そのあとの誹謗中傷に驚いたし傷ついた」と話しました。
調査中だと繰り返す日本政府。お母さんたちは心ない誹謗中傷にもさらされました。「ふざけるな、事故ではなくねつ造事件だろうが!」「子どもまで利用するクソサヨク。お前ら恥ずかしくないのか」
緑ヶ丘保育園の、神谷武宏園長は現場を指して「この位置ですね、このななめを飛んできたということになります」と説明しました。
県の関係者から入手した写真。落下物が見つかった時刻に、アメリカ軍のヘリが園上空を飛んでいるのが、向かいの公民館に設置された県のカメラにとらえられていました。
それにもかかわらず、アメリカ軍は認めません。そして、緑ヶ丘保育園の一件からわずか1週間、普天間第二小学校でも落下物事故が起きたのです。
神谷武宏園長は「米軍が認めた第二小学校では防衛局の方から監視員が出るとか、避難用工作物をつくるとか、そういうことを積極的にされていますが、どう上空を飛ばせないかを議論しない限りいくら工作物をつくっても子どもたちの安全は守れないはずです」と話しました。
届かない、保育園とお母さんたちの訴え。しかし、1年が経って、彼女たちを支えようという仲間もできました。チーム緑ヶ丘に賛同するお母さんは「どこにいても母親という立場なら子どもの命守りたいという気持ちは同じです」と述べました。
この日会見には、チーム緑ヶ丘の活動に賛同するお母さんたちが県内各地から参加。ネットワークを広げ、一緒に活動をし始めています。
チーム緑ヶ丘の佐藤みゆきさんは「一緒に力を貸してくれてっていう広がりが1年経って最近見えてきて、子どもたちに『空は危険だから隠れてね』というわけではなくて、その前に私たちは親として何ができるのかという立場で強い気持ちで今は活動しています」と話していました。
チーム緑ヶ丘の与那城さんは「力強い支えがあって本当に頑張ろうと思えるようになって感謝しています。沖縄の子どもたちをみんなで守ろうという空気ができてきたらいいなと思います」と話していました。
チーム緑ヶ丘 東京要請
さてお母さんたちで作るチーム緑ヶ丘のメンバー。先ほど東京の議員会館で政府担当者に対し要請を行いました。
比嘉夏希記者は「2回目の東京要請で、政府から新たな報告は聞くことができるのでしょうか。メンバーらが議員会館の大きな入り口へ向かっていきます」とリポートしました。
チーム緑ヶ丘の要請には防衛省や外務省、警察庁の担当者が対応しました。知念涼子さんは「誰が子どもたちの未来を守ってくれるんですか?」と問いかけました。
しかし政府からは驚くような答えが繰り返されました。外務省の担当者は「米軍機の実際の飛行については風向きや気象条件など、様々な条件があることから、日米合同委員会合意の違反であるとは考えていない」と話しました。
また警察庁担当者は「当方物件が米軍航空機からの落下物という特定には至っていのが現状」だと述べました。
緑ヶ丘保育園の神谷武宏園長は「何を調査したんですか?CH53Eはどこを飛んでいるか知っていますか?」と質問しました。
これに対し、警察庁担当者は「個別事案の詳細については、お答えを差し控えさせていただきます」と述べるにとどめました。
園長や保護者たちの追及をのらりくらりとかわす政府。話し合いはまた、平行線でした。